モノづくりとの歩み(喜怒哀楽)
私のモノづくりルーツ?
父の遺伝子が、かなり影響していますね笑^^;
父は青森県は十和田湖の山超えた小さな小さな山深い村の出身でして
学校卒業と同時に、新聞広告にあった「蒸気機関車の運転士」募集を見て
片道切符で東京に出て来たはいいが、諸条件を良く調べなかった為、採用条件に該当しないと断念…
ここで諦めない父は、当時の工作機械メーカーは日進月歩で技術向上の時代であり
アナログ的時代から、デジタル制御の時代へと変化を進めている中でした。
先端技術の「NC旋盤」の訓練を受け、技術者としての道(ブラジル移民を含め)を踏み出した父の遺伝子は
私のDNAを形成し、新しい事への探求と、難しい事へのチャレンジ精神を作り出している要因かも…
初めてのアルバイト
なんと、なんと…
私の人生初の給与を稼ぎだしたのは、町工場での旋盤作業の報酬でした。
1個5kgもある鉄の塊を、胸を位置まで持ち上げて、工作機械にセットする作業を
1日100回以上を、持ち上げては下に降ろす作業の繰り返しでした。
ツラいはずの重労働が、当時は楽しくて楽しくて仕方なかったんですわ。
自分では削る事の出来ない固い鉄の塊が、セットした工作機械がいとも簡単に削るんですよ。
慣れない最初の頃は、セットする段取りだけでも他の作業員の5倍も時間を有していたのが
1カ月のアルバイトが終わる頃には、工場内で一番早く作業が出来る様になっていました。
先輩方の手順や姿勢など、食い入る様に観察し、自分の体形などに合わせた改善をした結果でした。
自分の思いとは別の道
学生時代は絶対になりたくない職業「公務員」そして「営業マン」
理由は簡単:「公務員」の様な御堅いイメージは「似合わない」「嫌」
「営業マン」は、噓つきが歩いているくらいのイメージでしたもんで…
これが「人生うまく願った方には行かない例」と言うヤツなんでしょうね笑;
初めて社会へ出ての就職先は、なんと「東京都公務員」と言う場違いな職に。
当時初めて入都試験に採用された「マークシート方式(五肢択一)」で、鉛筆コロコロして選んで、まんまと合格!!
そしてサラリーマン生活で一番長く続けていましたのが「営業職」
でも私は噓つきちゃいますからね汗;
そんなこんなな波乱万丈な人生を、少しお話ししてみたいと思います
少しバブリーな生活と仕事
バブル全盛期に社会人となった私は、皆さんが振り返り言われてる様に
その時は、ごく普通の事としか考えた事が無かったな~~…
「昇給7,000円って少なくない? 日産やホンダ言った奴は、昇給18,000円だってよ」なんて会話や
「今月残業100h越えで、使う時ね~~や」って感じで、晩御飯を誰がゴチするかでハシャいでいましたね。
公務員で賞与が年3回(夏・冬・そして期末)が、好景気な民間企業に引っ張られて、少し多めに出ましたが
所詮は基本給が低くて、とても景気の良い民間企業の様に「夏2ヶ月、冬3ヶ月、期末決算賞与」なんて感じでしたね。
友達の企業の中には、社員に中元歳暮を配ってくれたり、社内飲み会の後にタクシー券を配ったりとドラマの様な事もあったな。
東京都心にあった工場を地方に移転する企業も増え、首都圏から製造業が少しづつ消え始めた時期でもありますね。
私も東京都公務員を退職し、昇給・賞与が上限知らずの如くな民間企業へ転職したのもこの頃でした。
NECグループ企業に入社(ほぼ同期入社は約150名) 生産管理部の技師として配属し、新設予定のタイ工場向け1号機~20号機まで製作
この転職が「自分の人生を自分で切り開くんだ」と思い始めた切っ掛けでした。
自分の色探しの旅
自分色探しとは言ってますが、当時は転職するヤツは「悪」とか「こらえ性が無い腑抜け」等々の声ばかりでした…
しかし、せっかく公務員を辞めて、別な道を選べる環境になったのに、給与や企業ブランド等に妥協する事はしたくなかった。
ただただ、自分が何処まで出来るのか? 自分が何を出来るのか? 会社や周りは私に何を期待しているのか?
そんな事ばかりを考えて、漢気魂だけで色んな壁にボッカン・バッカンぶつかってましたね。
オーナー企業の広告代理店では親子喧嘩(社長VS専務)で分社の渦中に巻き込まれ、社長に「うちの息子は一人では難しい助けてやってくれ」
息子さんには言えない気持ちを汲んで、息子さんと独立開業し2年で黒字化した途端に、息子さんが戻る事になり… 私は別な歩みを開始。
大手複写複合機メーカーでは、第二本社構想に心が沸き、組織改革や今で言うDXの走りに携わり、過度の疲労で脳が処理しきれなくパンク(笑;。
小規模な電気炉メーカーでは、昼間は大学研究室や民間開発向け装置の組立・実験を行い、晩飯後から装置の構造設計で毎晩徹夜で、帰宅は朝風呂に入り戻るだけ。
完成後は日本全国の大学(仙台・浜松・豊中・金沢・広島・北九州)や研究所(大阪・京都・兵庫・滋賀)を転戦して、1箇所 約1~2週間近くの設置試験。
等々と直接自分の手でモノづくりから、BtoB・BtoC営業活動をしながら、自分に合う企業・自分に合うスタイルを探し続けました。
ようやく10年の放浪「自分色探しの旅」で見つけたのが、今の基礎を作る事になった中堅規模の産業機器用の加工部品を扱う商社との出会いです。
少々、自己紹介が長くなったので、ようやく本題に入りますか!
えっ⁉
初回は、ここまで?…
との事でしたので、次回は「産業機器分野」で加工部品を扱った商社時代の事を少しお話しします。
ではでは!
川村聡明(かわむら さとあき)さんの連載
- 第1回 モノづくりとの歩み(喜怒哀楽)
- 第2回 近日公開
- 第3回 近日公開
- 第4回 近日公開
- 第5回 近日公開